マネーリテラシー向上委員会

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うつになった私と、うつになりたい貴方へ

 このブログを書いている今現在、私はうつで会社を休職しています。簿記検定を受けようと決めたのも、休職中にやることがなかったから。医者には何もしなくて良いといわれますが、何もしない日々って退屈なんです。同じようなブログを見て回ると旅行に出かけたりする人もいるみたいですが、これからの家計が心配でそんな気にもなれず、よい時間潰しとして簿記を選択しました。

 今日は簿記、お金の話から一歩外れて、私がうつ状態になるまでの話をしてみたいと思います。復職後にも今の感覚を思い出せるように。同じような状況の人がいれば、取り返しがつかないことになる前に、この文章を読んでもらえればと思います。。。

 

当時の状況と心境

 昨年の冬、入社4年目の私はあるプロジェクトにアサインされました。私がいる会社はひとつのプロジェクトを23年で回すような業界で、機械設計者として入社した私にとって2つ目のプロジェクトになります。23年かかること自体はあまり珍しいものではないかもしれませんが、足の長い仕事を複数かけもちでコツコツ進めていくという感じではなく、受注した時点で工程はショート気味、限られたプロジェクトメンバーで脇目もふらず邁進していくような業務の流れになっています。

 その時私に与えられたのは機械設計リーダーという役割でした。人材不足に悩む会社の常だとは思いますが、従来に比べ、責任ある仕事を驚くほど若い年次の者に任せる傾向にあります。1つ目のプロジェクトを終えたとは言え、扱うモノも体制も大きく違うのに、ペーペーの人間にリーダーを任せるとはどういうことだろうかと、純粋に疑問を感じました。一方で責任感の強かった私は、「よし、なんとか頑張ろう」と心に決めたことも記憶しています。

 機械設計チームの面子は、ベテラン(退職間近)のおじいちゃん、派遣のおばちゃん(業界経験は豊富)、研修直後の若手、これに私を加えた4人でした。プロジェクトを実行する際、通常は各人の担当範囲を決め、責任をもって業務を進めてもらいます。その上で、客先とのやりとりや品質管理、各担当で共通する項目の指示等はリーダーが担う、というのが普通のやり方です。しかしやる気に溢れていた私は明確な線引きをせず、全て自分で見ていくつもりでプロジェクトを開始ました。自分自身が全て見ることで、経験不足を補いたい気持ち強くありましたが、派遣のおばちゃんや退職間近のおじいちゃん(なんとプロジェクトの途中で退職しますw)に責任を持たせることは出来ないだろう、と判断した結果です

ほころび

 自分で全て見るとは言え物量が多く一人では回らない為、ある程度ブレークダウンした作業をおばちゃんやおじいちゃんへ任せていきます。自分自身も作業を抱えながら仕事を振っていくのですが、おばちゃんとの仕事は初めから上手くいきませんでした。こちらはかなり丁寧に指示をしたつもりでも、ぜんぜん違う答え(成果物)が返ってくる。再度指示をしても中途半端な状態にしか仕上がらず、やり取りを繰り返すうちにイライラが募り、結局私が引き取ってしまう。そんな状況が何度も積み重なっていました。膨大な知識を習得する為、当初から終電帰りでしたが、それでは足りず、出勤時間をどんどん早めていくことになりました。

 一方のおじいちゃんについて。ある程度時間が経ち、自分の仕事・おばちゃんの世話の手が空いたある日、おじいちゃんの作った設計資料を見て愕然としました。出所も記載されていない数字がEXCELシートに並んでいるだけで、本人に聞いても何故その数値を用いたのか分からない、とても設計根拠として残せるようなものではなかったからです。彼は基本的に、それまで担当したプロジェクトと同じ計算書を使って設計していたのですが、そのどれもが間違っていた、ということです。幸か不幸か、過大な数値と過小な数値がほどほどにミックスされて、計算結果としては妥当なように見えましたが、おじいちゃんが退職した後も責任を負う私としては放っておけず、自分で一からやり直すことに決めました。

 そんなわけで、もともと私が予定していた作業に加えて二人分の仕事の見直しも積み重なり、業務量はみるみる増えていきました。二人について"昔の人だから"という理由で一括りにしたくはありませんが、ベテランの方というのは知識や常識はあるものの、プライドが高くそれに固執する傾向があります。形骸化している各作業の意味を考えてもらったり、仕事のやり方を変えていったりすることは難しいんだなぁとすごく感じました。また、経験があることに関しては自信を持って進めてもらえましたが、そうでない部分には全く気が利かず、とんちんかんな状態を疑問にも思わない、年配の方にはそんな人が多い気がします。

気持ちの限界

 私はもともと物怖じせずに言いたいことを言うタイプだったので、疑問に感じた点についてはおじいちゃんと積極的に話をしました。もちろん言い方には気をつけ、雰囲気が悪くならないように心がけながら質問したり、間違いに気付くように仕向けたり・・・。しかしあまりに適当な仕事が続くとこちらも腹が立ってきてしまい、ストレートに問い詰めるようになります。それでもおじいちゃんから明確な回答が返ってくることはなく「前のプロジェクトでもこれで問題なかったんだから大丈夫だ」という答えばかりで、信頼に足る答えは得られませんでした。理論的に攻め立てても「じゃあ問題があるという根拠を示せ」と言うものですからだんだんと辟易してきてしまい、しまいには言い争うのもやめました。理論的に解の無い問題では前のプロジェクト(で問題が無かったという経験)を根拠に設計を進めることはあります。しかし定式化された解のある問題についてまで、前のプロジェクトと同じだからという理由で間違った計算書を残すことは、エンジニアとして受け入れられる仕事のやり方ではありませんでした。この点については、誰もが同じやり方で仕事を進められるようなシステムを構築出来ていないという、組織的な問題もあるのかもしれません。

 この当時、おじいちゃんとの関係はすこぶる悪く、一日一回喧嘩する、朝晩こちらから挨拶をしても無視される、というような状況でした。やりとりを聞いていた近くの席の方から「○○君、××さんは目上の方なんだから、もう少し言い方に気を遣った方が良いよ」とも言われましたが、この時にはもはや根拠のない計算書を作り上げる人にどう気を遣えば良いのか分かりませんでした。プロジェクトの懇親会があっても仕事が終わらず私だけ遅れて参加したり、部署の飲み会があって先に退社する彼らを見ながら私だけ夜中まで残業をしたりということが続きました。

 このような環境の中で仕事を続けていたところ、いくつかの不調が出てきていることに気付きました。休職の2ヶ月前くらいから、大きな声が出なくなりました。居酒屋に行っても店員さんに声が届かないレベルです。ちょっとおかしいなと思いつつも仕事は山積みで、会社には行き続けました。1ヶ月前くらいからは、明らかに集中力が落ちてきました。処理しなければならない仕事は大量にあり、どれも緊急で焦燥感はあるのにやる気が出ず、注意力が散漫になり細かいミスを連発するようになります。これがさらに焦りを呼ぶ、という悪循環に陥っていました。その頃はゴールデンウィークのあたりでしたが、1日だけ休むことが出来た連休のある日、久しぶりに帰った実家でも違和感を覚えます。両親や兄弟、姪っ子、甥っ子を交えて昼ごはんを食べたのですが、皆は楽しく談笑しているのに自分は一人上の空、何も楽しめていないことに気付きました。また同じ頃、スーパームーンが出てるよと妻に誘われ、マンションの踊り場に観に行きました。部屋へ戻る妻の後ろ姿を見た後階下を見下ろして、「このまま飛び降りたら楽になれるかな」と思ったこともあります。

休職直前に思ったこと

 せっかく入った会社だから、仕事がちょっときついくらいで、寝る時間がちょっと少ないくらいで、人間関係が少し悪くなったくらいで休んだり、辞めたりするのは悔しいし、もったいないと思っていました。死にたいと思っても、そんなこと思いながら仕事をしている人だってたくさんいるだろうし。ただ、日常的に吐き気がするようになり、毎日死にたいと思うようになり、ホームに入ってくる電車に飛び込んだらどうなるかを朝晩考える日が続き、これはちょっと限界なのかなと感じました。死ぬか休むかの二択だなと考えました。このまま死んだら皆に迷惑をかける。ギブアップして会社を休んでも迷惑をかける。・・・。だったら会社を休む方が、死ぬよりはマシかなと思い、心療内科に電話したのでした。

うつになりたい貴方へ

 休職直前も今でも、皆に迷惑をかけているなという実感はあります。死にたいと思いながら、死にそうになりながら働いている人なんて、今の日本には五万といるんだろうと思います。ただ、仕事を理由に本当に死ぬくらいなら、そんな会社辞めた方が良い。また、せっかく入った会社を辞めてしまうくらいなら、辞める前にちょっと休んでみた方が良い。これは真実だと思います。どれだけやばい状況でも、休んでしまえば後はどうにかしてくれる。それが組織で仕事をしているということだから。心療内科に行きさえすれば、診断書は簡単に出してもらえると思います。そこから先は、診断書を手にもうひと頑張り。それからのことは、後で考えればよいと思います。それだけ追い込まれているのだから。どうか休むことを恐れないで下さい。迷惑をかけるとためらわないで下さい。貴方のせいではないのだから。

 私は今現在、復職を目指して頑張っているところです。休む時よりも復職する時の方が、よっぽど辛いし面倒なこともあるでしょうが、今では病院に行って、休職を申し入れて良かったと思っています。そうでなければこの文章を今書いていないかもしれないから。この文章を読んだ皆さんに、人は追い込まれるとこんな風になってしまうんだと、参考にしてもらえればと思います。そして同じような状況の人にとって、この文章が何かのきっかけになればと思っています。